毎朝、妻が「玉ねぎの皮のお茶」を用意してくれます。
いつの間にか、それはわが家の朝の風景になりました。
朝になればお茶がある。
僕はそれを飲んで、一日を始める。
毎日のことなので、特別な出来事だと思ったことはありませんでした。
でも、ある朝ふと思ったんです。
「これって、当たり前じゃないんだよな」と。
今日は、そんな毎朝の一杯のお茶から気づいた、妻の気遣いについて書いてみたいと思います。
毎朝用意されている「玉ねぎの皮のお茶」
妻が毎朝用意してくれるのは、玉ねぎの皮のお茶です。
僕の健康を気遣って、続けてくれています。
健康のために何を取り入れるかについては、人それぞれ考え方がありますし、玉ねぎの皮のお茶についても、ここで「飲めばこうなる」といったことを言うつもりはありません。
僕にとって大切なのは、お茶そのもの以上に、
「健康でいてほしい」
と思ってくれる妻の気持ちです。
毎日一緒に生活していると、こうしたことは少しずつ日常に溶け込んでいきます。
そして、いつの間にか「いつものこと」になってしまいます。
毎日続けることは、意外と簡単じゃない
たった一杯のお茶。
そう考えると、とても小さなことに思えるかもしれません。
でも、それを毎朝続けるとなると話は違います。
忙しい朝もある。
疲れている朝もある。
今日は面倒だなと思う日だって、きっとあるはずです。
それでも妻は用意してくれる。
そう考えると、僕が毎朝受け取っているのは、単なる一杯のお茶だけではないように思えてきました。
そこには、妻の時間がある。
手間がある。
そして何より、僕の身体を気遣ってくれる気持ちがある。
そう思った瞬間、いつもの一杯が少し違って見えました。
「元気でいてね」を言葉ではなく行動で
夫婦だからといって、毎日感謝を伝え合ったり、気持ちを言葉にしたりするわけではありません。
むしろ、一緒にいる時間が長くなるほど、言わなくなることも増えていく気がします。
「ありがとう」
「身体に気をつけてね」
「元気でいてね」
そんな言葉を毎日交わすことはなくても、気持ちは行動に表れることがあります。
妻にとっては、毎朝のお茶がその一つなのかもしれません。
言葉にすれば数秒で終わってしまうことを、毎朝の行動で伝えてくれている。
そう考えると、なんだか胸が温かくなりました。
「当たり前」の中にあるもの
夫婦で暮らしていると、「当たり前」がどんどん増えていきます。
ご飯が用意されていること。
洗濯された服があること。
何気なく声をかけてもらえること。
体調が悪ければ心配してもらえること。
そして僕の場合は、朝になると玉ねぎの皮のお茶が用意されていること。
毎日繰り返されることほど、そのありがたさに気づきにくいものです。
なくなって初めて気づくのではなく、あるうちに気づきたい。
最近はそんなことを思います。
一杯のお茶から始まる朝
特別なプレゼントをもらったわけでもありません。
何か大きな出来事があったわけでもありません。
ただ、朝起きたら、妻が用意してくれたお茶があった。
それだけの話です。
でも、幸せというものは案外、こういう小さなところにあるのかもしれません。
何でもない毎日を振り返ってみると、誰かの気遣いに支えられていることがあります。
それに気づけるだけで、いつもの風景が少し違って見えてきます。
まとめ|今日も一杯のお茶に「ありがとう」
毎朝、妻が用意してくれる玉ねぎの皮のお茶。
いつものように飲んでいた一杯ですが、改めて考えてみると、そこには妻の気遣いがありました。
健康を気にしてくれる人がいる。
元気でいてほしいと思ってくれる人がいる。
それは、とてもありがたいことです。
毎日のことだからこそ、当たり前にしない。
「ありがとう」と思ったときには、ちゃんと言葉にもしてみようと思います。
今日も朝の一杯を飲みながら。
妻に、ありがとう。

コメント