日本酒の獺祭 はパリ三ツ星レストランのワインリストに掲載!山口の酒蔵旭酒造

「獺祭(だっさい)」

旭酒造の大吟醸酒「獺祭(だっさい)」は、日本のロマネコンティと呼ばれ、

パリの三ツ星レストランのワインリストにも掲載されます。

安倍総理がオバマ大統領にプレゼントして話題になりました。

昭和59年、桜井博志氏は父親の死により、家業の旭酒造を継ぐことになります。

当時は焼酎がブームを迎え、日本酒は斜陽の一途でした。

転機

就任早々、衰退の一途を辿る日本酒の厳しい現実を目の当たりにるのです。

得意先である地元マーケットは、過疎化で縮小する一方です。

岩国市の中心部への進出はおろか、市街地に近い高森や玖珂に進出しても、地元の酒蔵とのシェア争いでは、まったく勝ち目がなかったといいます。

値引きキャンペーンや安価な紙パック製品の開発もしましたが効果なく、

銀行に「あがくほど沈む泥沼」

と言われる状態でした。

「どないしたらええんじゃろ」

と苦悶する桜井社長です。

従業員たちは、「手の打ちようがありません」とお手上げです。

八方塞がりの中で、一つの方針を掲げます。

「選択と集中」

彼は、小さな酒蔵にしか出来ないことを模索し、売れない普通酒を棄てます。

大吟醸酒を造ることにしたのです。

これは大吟醸が、小規模な仕込みでないと高品質を保てないため、

小規模な仕込みしかできない旭酒造に適しているとの考えです。

ただただ味わうための美味しいお酒造りに専念して、味で勝負するという決断でした。

 しかし酒蔵は、伝統的に製造と販売が完全に分離しており、オーナーと言えど酒造りを請け負う職人集団の杜氏に、どのような酒を造るか指図することはご法度でした。

それでも桜井氏は、杜氏に大吟醸酒造りをお願いし、「難しいから」「大変だから」と嫌がる杜氏を何とか説き伏せます。

そして工業技術センターの河村氏による「静岡県の大吟醸造り」レポートを元に、杜氏の酒造りに、どんどん口出しをしていきました。

山田錦

更に桜井氏は、大吟醸に最も適したお米「山田錦」の調達を考えます。

しかし、山田錦は、山口県の指定品種でないため、地元ではあまり作られていません。

何とか契約農家を見つけるも、山田錦は晩成のため、収穫前に雪が降って駄目になってしまいました。

また、田植えや収穫時期など近隣の田んぼと歩調が合わせられず、農業用水の過不足の問題も発生します。

結局、農家との契約は解除になってしまいました。

その直後、たまたま父が貸していた3300坪の田んぼが戻ってくるのですが、山口県の経済連(農協の上部組織)が、農家でない新参者の旭酒造に、山田錦の種もみを出し渋ります。

ここで、山田錦の自社栽培は頓挫してしいます。

ところが、「捨てる神あれば、拾う神あり」

彼の試行錯誤を聞きつけた、兵庫県みのり農協が、山田錦を提供したいと申し出てくれたのです。

これが後の、全国からの調達ルート構築に繋がっていきます。

こうして次々とピンチを乗り越えて体制を整え、試行錯誤を重ね大吟醸酒を造り、徐々に危機的経営状態を脱していきました。

ビールで失敗

平成2年、経営状態がひと段落したので、当時、流行っていた地ビールの生産を試みました。

これは、日本酒造りが冬のため、夏の地ビールと組み合わせて、生産性を向上させようとした試みです。

そして、地ビール生産の認可に必要な、地ビールを出すレストランもオープンさせました。

ところが新規事業は、僅か3ヶ月で資金ショートてしまいます。

そして、年商の約半分の2億円もの損失を出してしまいました。

一時は、銀行残高ゼロが続き、東京の大学に通う息子の教科書代すら仕送りできません。

風評被害

更に悪いことに、旭酒造は倒産するとの噂が駆け巡り、杜氏が他の酒蔵に移ってしまったのです。

酒造りに介入し過ぎたことを杜氏が不満に思っていたことも一因でした。

酒造りする杜氏のいない酒蔵になってしまいました。。

絶体絶命

桜井社長は、開き直りました。

杜氏制を廃止して、自分たちで造った方が遠慮なく新たな酒造りに挑戦できると、ポジティブに考えるようになります。

結果的に、この脱・杜氏制は、伝統的な日本酒造りを一変させました。

これが世界に冠たる日本酒「獺祭」の開発へと繋がって行きます。

常勤社員が酒造りをする以上、杜氏のように冬場の年1回だけ酒造りするのでは、経営が成り立ちません。

そこで、一年中酒作りが出来るように、酒蔵を摂氏5度に保つ空調設備を導入しました。

その結果、いつでもお酒が仕込め、その生産能力は2倍を超えました。

杜氏を超えるもの

日本酒の仕込み方と出来具合を数値データ化して確認しながら、次の仕込み方法を微調整するなど、具体的な数値による生産ノウハウを着実に確立していきます。

更に、年間約700回にも及ぶ仕込み回数は、1年間で杜氏の一生分に相当する仕込み量という圧倒的な経験を積ませてくれます。

それは、数値では表せない杜氏の持つ感覚的な技量までも、体得していきました。

このように、先入観や固定概念をとっぱらい、伝統的な方法に束縛されず、試行錯誤を繰り返し、オリジナルな方法を確立します。

獺祭の誕生

山田錦の表面を77%削り落とす「磨き二割三分」の精米によって、ついに大吟醸酒「獺祭」を完成させるのです。

数々のピンチから編み出されたノウハウによる「獺祭」は、大ヒットして純米大吟醸の出荷量トップとなり、世界20ヶ国で販売されるまでになります。

こうして山口県岩国市の山奥にある、過疎集落の小さな酒蔵で造られた、芳純でフルーティーな日本酒「獺祭」は世界を魅了していったのです。

最後に

フルーティーなロマにコンティのような日本酒!

そんな獺祭を飲みたくありませんか?

是非、お召し上がりください。

獺祭 純米大吟醸 磨き三割九分 720ml だっさい 39 旭酒造 日本酒 山口県

獺祭 純米大吟醸 磨き三割九分 1800ml だっさい 39 旭酒造 日本酒 山口県

獺祭〔だっさい〕 磨き二割三分 純米大吟醸 720ml 専用木箱入り 【日本酒/山口県/旭酒造】

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